TwitterはもうXに変わったんですよ。
なのにいまだに但し書きで(旧Twitter)と記載されているのを頻繫に見かけます。
このカッコ付きでの表記、あなたはどのように思われますか?
私は「もうやめろよ」と思っています。
なかなかXに慣れないというのは分かります。
またXという文字はわりと汎用的に使いますので、いきなりXと言われても旧TwitterのXのことなのか、何か別のものを指してXと言っているのか、にわかに判断しづらいという事情もあるでしょう。
またTwitterという呼称に愛着があって、「オレは一生Twitterって呼び続ける」なんていう人もいるかもしれません。
イーロン・マスクに反感を抱いている人もいることでしょう。
しかし誰が何と言おうとTwitterはもはや過去のもの。
好むと好まざるとにかかわらず、「かつてTwitterと我々が呼んでいたものは現在ではXなのだ」ということを受け入れなければなりません。
しかし多くのメディアでは、いつまでたっても「X (旧Twitter)」などと記載しています。
もういい加減にしろと言いたい。
変化に対応できないのですか?
JRのことを旧国鉄なんて言いますか?
「NTT(旧電電公社)」などといまだに書いているメディアがありますか?
諸外国の事情は知りません。
「アメリカのメディアだって『X(旧Twitter)』っていうような表記をしているぞ」
という人もいるかもしれません。
当のX自身がApp Storeのアプリの紹介で、アプリ名の「X」の下に「旧Twitter」と自ら記載しているという情報も目にしました。
確認したところ、実際そうなっていました。
ただしこの記載がX自身によってなされたものなのかどうかはApp Storeの表示の仕組みに詳しくないので私には分かりかねますが。
しかし、もしそうなのだったとしてもそれが何だと言うのですか?
日本はアメリカじゃないんです。
世界に先駆けていち早く変化に適応していきましょうよ。
いつまで経っても「X(旧Twitter)」「X(旧Twitter)」だなんてイライラしますよ。
もう一度言いますよ。
Twitterなどというものはもうこの世に存在しないんです。
時代は変わったんです。
そしてこれからも世の中はどんどん変わって行くんですよ。
変わってないのはあなたの古い頭だけなんです。
まぁ、Twitterのヘビーユーザーだった人にとっては心の切り替えに時間が必要なのかもしれません。
私は幸いTwitterもXもやっていませんので何の思い入れもなく、したがって切り替えも容易なのです。
「X」でも「Y」でも「Z」でも何でも構いませんよ。
変化に対応できない人に対して過保護ではありませんか?
キーウを(キエフ)などと一々書かれていませんよね。
キーウが何か分からないという人を取り残さないために過剰なホスピタリティを発揮するよりも、「キーウを知らないあなたが悪い」という姿勢に徹するべきなのです。
「知らない人は自分で調べてください」っていう態度で良いと思いますよ。
インドの国名だってバーラトに変わるかもしれません。
このように社会は変化していくのです。
正直に言っていつまで経っても「旧Twitter」などと記載してあるのを見るのは哀れです。
どれだけノロマな国なんだ。
もういい加減にやめましょう。
Xが何かを知らない人はお友達のチャットGPTに聞いてください。
もしチャットGPTに「ググれカス」って言われたなら今度はググってください。
なぁんていう暴論を吐いている私なのですが、実は私も別の記事の中で一度使っているんですよね。
この「X (旧Twitter)」ってヤツを。
しかし他人の真似をして自分自身でも使ってみたからこそ思ったのです。
「なんだか嫌だなぁ。使いたくないなぁ、これ」って。
そう感じたのですが、結局は世間の慣例に従いました。
今も修正せずに記念にそのままにしております。
時が流れて、いつか「旧Twitter」という表記を誰も使わなくなる日がくるでしょう。
そんな時にまたこの記事を読み返してみたいと思っています。
「懐かしいなぁ」
「そうそう、あの頃はそんな書き方してたよな」
なんて思い出に耽りながらね。
余談ですが、私が住んでいる地方の県では、地元の人々は市町村合併前の地名を今だに口にしています。
その方が地元の人同士では通じ易いのです。
その土地の歴史や思い出が、昔の地名に深く結び付いているからです。
県外の人間にとってはかえって混乱をもたらす場合もあるのですが。
そう考えると、Xは私にとっては使うことのないただのアプリに過ぎませんが、長く利用してきた人にとってはまた違った思いがあるのでしょうね。
ごめんな、キツイこと言っちゃって。