文章を読んでいる時に誤字脱字を発見することがあります。
誤字脱字というのは漢字などの誤りや文字の抜け落ちなどのことです。
そういうものを見つけた時にあなたはどう感じますか?
人によって感受性に差があると思います。
特に何とも思わない人もいらっしゃるでしょう。
デコボコ道でもへっちゃらのオフロード車に乗っているような余裕のある方です。
しかし心に余裕のない私の場合は誤字脱字という小石が1つあっただけで躓いて転んでしまいそうになります。
踏み出した足元にあると思っていた段差がなかった時のようなヒヤリとする感じ。
肝を冷やす思いをしてしまいます。
先日から文章などの「細部」について話してきましたので、その流れで今回は誤字脱字についての考えを述べてみたいと思います。
主観的なものに過ぎませんが、昔に比べて最近読む文章に誤字脱字が多いように思います。
調べたわけではありませんので実際にどうなのかは分かりません。
私のフィルターの目が細かくなっただけなのかもしれません。
ただ可能性として言えるのは、流通する文章の量が以前に比べて格段に増えたということ。
また社会の変化に合わせてスピードが重視されているせいかもしれません。
中堅メディアが流している記事の中にもしばしば誤字脱字が見られます。
中には記事のタイトルに誤字脱字が含まれているものも見かけたことがあります。
タイトルにですよ。
ちょっと考えられませんよね。
残念ながらその記事は読んでいません。
「読むべきではない」という判断力が「怖いもの見たさで中身を読んでみたいな」という好奇心を僅差で上回ったのです。
また紙の書籍においてもたまに誤字脱字を発見することがあります。
大手の出版社から出されたベストセラー作家の本の中にまで。
人手不足なのでしょうか?
スピード重視なのでしょうね。
工業製品などでも以前に比べて故障するケースが増えているという話も耳にします。
十分なチェックをすることも必要なのですが、それよりも他社に先駆けてリリースすることのメリットが上回ると判断すれば、後者の価値観に従うということなのでしょう。
私は以前に「神は細部に宿る」というテーマで記事を書いたことがあります。
細部に徹底的にこだわってモノを作ることの重要性を表した言葉であると述べました。
文章において考えれば最も細部にあたるのが文章を構成している1つ1つの文字ではないでしょうか?
それを考えれば文字に誤りがあるという時点でその文章に作者のこだわりは「ない」と判断せざるを得ません。
こんなことを考える自分に対してこう反論する自分もまた同居しています。
「ちょっとゆとりがなさすぎるよ」
「あんまり細かいことにこだわり過ぎると世知辛い世の中になっちゃうよ」
それもそうなんですよね。
少しの誤りも許さないなんてキャパが小さ過ぎますよね。
まぁ、自分の書く文章には誤字脱字だけは無くそうと思います。
時間をかけて何度も見直してチェックすれば良いだけの話ですから。
また特殊な例ですが誤字脱字の効用というものもあると思います。
それは「おおらかな人だな」「神経質で気難しい人じゃなさそうだな」と思わせる効果です。
例えばプライベートなメールやラインなどで常に完璧な文章を送ってこられるとどう感じますか?
ちょっとした圧迫感を感じませんか?
関係性によっては「重い人だな」と感じるかもしれません。
「ものすごくチェックしてから送ってきてるのかな。自分は気楽に送っているのに」
と。
そんな時に文章の中にあえて誤字脱字を絶妙に含ませてみるのも1つの方法かもしれません。
「服を裏表逆に着てきた」とか「靴下を左右で別のものを履いてきた」というような、ちょっと抜けたおっちょこちょい感を出すのです。
いつもスーツでビシッと決めてこられると疲れることもあるでしょう。
ただしこれはかなり上級者向けのテクニックです。
私などにはとてもできません。
さて誤字脱字についていろいろ述べてきたのですが、最後にもう一点だけお話ししておこうと思います。
これも例によって私の誤解と偏見にもとづく考えです。
本当に誤解と偏見をまき散らしており、ご迷惑をお掛けしております。
それはプログラマーの方が書かれたブログ記事に誤字脱字が多いような気がするということです。
気がするだけです。
実際にはそんなことはありません。
たまたま私が読んだものの中にそういうものが多かっただけなのです。
ただちょっとプログラマーと誤字脱字について考えてみたいと思います。
私はプログラミングを趣味としてかじっているだけで、職業としてたずさわったことはありません。
ですので想像での話になりますが、プログラマーという人たちは「正確である」ことをとりわけ重視しているのではないかと思っていたのです。
そんな人たちが日本語の文章においては誤字脱字だらけのものを書いている。
それを不思議に思ったのでした。
「あなたのような人が書いたソースコードでプログラムがちゃんと動きますか?」
「セミコロン(;)1つ抜けただけで動作しないようなシビアな世界に生きているプログラマーがこのありさまとは」
そんなことを考えたのでした。
しかし私はハッと気付いたのです。
ソースコードの誤りはプログラムが正しく動いてくれないことによって誤りであることを教えてくれているのだと。
だから誤りに気付くことができるのです。
コンピューターは親切なのです。
ところが人間が読み書きする文章では、誤りがあっても人間はそれを補正しながら読み進めることができます。
だから誤りに気付くことがなかなかできません。
他人の文章の誤りを指摘してくれる人はあまりいませんので、自分で気付くしかないのです。
誤りを教えてくれるコンピューターと誤りを許してくれるけれど教えてはくれない人間。
どちらが親切なのでしょうかね。
プログラマーのみなさんは「人間はコンピューターとは違って誤りを教えてくれないのだ」ということを意識して、自ら誤りに気付く力を磨いてみてはいかがでしょうか。
あぁ、あちこちから石が飛んできそうなことを書いてしまいました。
何も悪気はありませんよ。
「いろんな人がいる」ということを楽しみながらいろんな文章を読むのが良いですね。
ちなみにチャットGPTをはじめとするAIの進化によって、日本語の文章をチェックしてくれるソフトも出てきているようですね。
どのくらいの精度があるのか詳しいことは存知ませんがとても興味があります。
時を経るごとに益々高精度なものが現れることは間違いないですので、今後は使う人も増えてくるのではないでしょうか。
ただね、そうなったらなったで完璧な文章ばかりになっちゃって、逆に人間が書いた文章が恋しくなってしまうかも。
たまには石に躓きながら読むのもいいものですよね。
っと冒頭とは真逆のことを言っております。
そんな私のこの記事の中にも、もしかしたら誤字脱字が含まれているかもしれません。
優しい人間であるあなた、どうかおおらかに許して読んでくださいね。