「荒川光のブログ」の下書き

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「神は細部に宿る」ってどういう意味? その言葉を座右の銘にしている私が語ります

 

「神は細部に宿る」という言葉を聞いたことがありますか?

これは一体どういう意味なのでしょうか?

 

私はこの言葉について、これまでの人生の中でしばしば考えてきました。

そして今では座右の銘としております。

今日はこの「神は細部に宿る」について話してみたいと思います。

 

この言葉は創作などにおいて細部、ディテールが大切だということを表したものです。

細部へのこだわりにはその作者の魂や思い入れが込められているということです。

 

しかしこれを聞いた当時の私には腑に落ちませんでした。

「細部よりも本体の方が大切なんじゃないの?」

と考えていたものです。

 

「細部なんて枝葉末節に過ぎないだろう」

「幹がしっかりできていないのにディテールの装飾にこだわったって良いものができるわけがない」

「見せかけだけのまやかし、ごまかし作品にしかならないよ」

そんな風に否定的に考えていたのです。

 

しかし時を経るにしたがってその考えは変わってきました。

細部というのは本体と対立するものではなく、本体の魅力を最大限に発揮させるために必要なものだと考えています。

本体というのはあってあたりまえ。

というより本体がなければ作品そのものが存在しないことになります。

本体のないところに細部だけが存在するなどということはありえないでしょう。

 

何かものをつくる時にはまず本体から作るはずです。

絵画でも音楽でも文学でもかまいませんので、あなたの詳しいジャンルの創作を思い浮かべてみてください。

 

まず大まかな幹となる部分を作り、その後細部にとりかかるはずです。

その逆のやり方は私には考えられません。

 

そして完成度の低い作品というものは大まかに全体ができたところで提出されたものだと言えます。

私に言わせればそれは完成品ではなく、下書きです。

あるいは試作品、たたき台に過ぎないとも言えるでしょう。

それをさらに磨き上げ、ディテールを徹底的に仕上げてこそ納得するものができ上がるのです。

 

トヨタ自動車の豊田章男会長がホンダのヴェゼルに乗った動画がトヨタの公式 X で公開されて話題になりました。

そのヴェゼルの感想を「トヨタイムズ」という公式 YouTube チャンネルで語っておられます。

 

「方向指示器の音が気に入らなかった」

「ここ日本の道なんだから、アメリカの音にしてほしくない」

とのことです。

 

このコメントには驚きましたし、同時に深く感心させられました。

「ウィンカーの音」というような細部に至るまで気を配っているということ、またそこに「気づける」という感性に驚いたのです。

 

「神は細部に宿る」という言葉はクルマ作りにも当てはまるのだということがよく分かるエピソードですね。

自動車作りにおいて大切な幹になるものとしては「走行性能」「衝突安全性」「燃費や電費など環境への配慮」「乗り心地」などを挙げることができるでしょう。

しかし幹だけではなく細部をも磨き上げることが必要だとトヨタは考えているのです。

もちろんホンダがそうではないというわけではありません。

ホンダのウィンカー音はホンダのこだわりなのかもしれません。

好みによるでしょう。

ただ、音が鳴っていれば何でも良いと考えるのか音にもこだわって作るのかで差が出てくると思います。

 

ものを作る側の人間ではないから「神は細部に宿る」なんて関係ないと思う人もいるかもしれません。

しかし鑑賞者あるいは作品の受け手の立場から見てもやはりこの言葉には大きな意味があります。

 

私たちは毎日様々なモノやサービスを享受して暮らしています。

テレビだって見るし音楽も聴くでしょう。

レストランの料理だって創作物ですし、店の陳列棚への商品の「並べ方」だって創作であると言えます。

そのような作品を受ける側の私たちは、はたしてそれらの細部まで十分に味わっているでしょうか?

 

本はざっと流し読みをして大体の内容が理解できればいい。

映画は1.5倍速で見る。

音楽だって、長いイントロは飛ばしてボーカルが入るところから聞き始める。

 

こんなことは多くの人にあるのではないでしょうか。

俗に言う「タイパ」を良くするための工夫であり、それによって時間を得すると考える。

そのため細部にまで意識を向けることができません。

そしてそのような消費のされ方をするということを製作者の側も知っているので、細部にまでこだわって作るコストを省こうとするのです。

 

元々細部にこだわりのない作品であれば、受け手も細部を意識する必要はないでしょう。

しかしもしもその細部に作者の魂が込められているのだとしたら、受け手も同じエネルギーを注がなければその魂には触れられないと思うのです。

そしてその細部に込められた思いを感じ取ろうとする努力が、作者への敬意にほかならないと思います。

 

情報量がとてつもなく多い現代社会では短時間で大量の情報を処理しなければ追いつきません。

置いていかれてしまいます。

でも置いていかれる恐怖からつまみ食いばかりしていては本物を体験できないままになるでしょう。

手当たり次第にジャンクフードを食べているようなものですね。

 

ちょっと偉そうにしゃべってしまいました。

「ではお前が書いているそのブログはどうなんだ?」

「ちゃんと読む価値あるのかい?」

そんな声が聞こえてきそうです。

 

いやぁー困った。

でもね、このブログは下書きなんで、細部はまだこれからなんですよ。

ザザッと書くのでパパッと読んでください。

 

たった3時間で書き上げた記事だけど、3分以上かけて読んでしまったあなた。

「タイパ悪いよ!」