「荒川光のブログ」の下書き

メモ・所感・備忘録・日記・ブログの下書き

ブログ記事を毎日更新する意味とは そもそもそんなことに何か意味あるの?

 

このブログを始めてから2週間が経ちました。

今まで毎日更新を続けています。

何事も続けることができない私にとって2週間というのは大きな成果です。

 

ところが「今日は更新するのをやめようかな、今日で連続更新は中断しようかな」とちょっと考えました。

なぜかと言うと今日は特に記事にするべきことが思い当たらなかったからなのです。

 

こんな時、毎日更新を目標にブログを運営されている方はどうしていらっしゃるのでしょうか?

そこで今回は毎日更新を続けることに何の意味があるのかということについての考えを書いてみようと思います。

 

「書きたいことが特にないのなら書かなければいいじゃない?」

普通はそう思うでしょう。

私もそう思いますよ。

それが正しいと思います。

 

伝えたいことがあるから書くというのが自然なことなのに、書くことを目的として書くというのはいかがなものか?

読んでくださる方に対しても失礼じゃないか?

ネットの海をゴミ記事で汚しているだけだぞ。

そんなことも考えました。

 

ブログに限らず何でもそうだと思いますが、「表現するために表現する」という人の創作物に良いものがあったためしがあるでしょうか?

 

尾崎豊の初期の3枚のアルバムとそれ以降とを比べてみればいい。

自分の中にある感情を吐き出さなければ、伝えなければ、窒息してしまいそうになる苦しみで、尾崎は歌ったのです。

それがあのような奇跡の音楽を生みました。

しかし残りの音楽は、尾崎を愛するがゆえに言うのですが、燃えかすのようなものになってしまったと思います。

あまりに激しく燃えたあげく、20歳以降は余生と言える人生になってしまったのではないでしょうか。

 

まぁ、尾崎を持ち出すなんて場違いではあります。

私が書いているのはただの日記。

しかし日記であれ何であれ、自分が何かを表現しようとするとき、30年以上も昔の私を熱狂させた尾崎豊のことを時々思い出すのです。

 

そして私は自分自身に向かってこう言います。

「書きたいことがないなら書くな」と。

小細工を弄しながら毎日更新を続けていくことに何の意味があるのか?

何の意味もないと思います。

 

それでも更新を続けるのはただの自己満足に過ぎないのかもしれません。

もしくはサンクコストのバイアスってやつかな。

これまでやってきたことの成果を捨ててしまうのがもったいないと思う心理。

私のようなケチな人間が陥りやすい罠です。

 

でも僅かな期待を込めてこうも考えるのです。

「もしかしたら、ずーっと継続していった先には何かがあるのではなかろうか?」

 

たぶん何も無いに違いない。

時間の浪費。

ゴミの量産。

 

でもね、もうちょっとやってみようよ。

自分自身を実験台にして実験をしてみよう。

 

迷いに迷った末に、どうするの? この記事。

投稿するの? しないの?

どうするの?