「荒川光のブログ」の下書き

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犬がにおいを嗅ぐのに共感できないのが淋しい

 

犬を散歩させていると、犬が立ち止まって地面のにおいをクンクン嗅ぎ始めることがあります。

しかし一体そこに何があるのか、私には分かりません。

良いにおいがするのでしょうか?

それとも何か気になるにおいなのでしょうか?

 

さっきまで犬と楽しく歩いていたのに、ここで犬と自分との違いをまざまざと見せつけられて少し淋しい気分になります。

犬と感情を共有できない私。

 

しばらくは犬の自由に嗅がせますが、あまりに長引くようだと私もしびれを切らせてしまいます。

「さあ、行くよ」と言いながらリードを引っ張ってその場から犬を引き剝がすのですが、本当はそんなことをしたくはないのです。

 

たとえば夫婦や恋人同士で出掛けた時に、自分にはまったく興味を持てずその価値も理解できないものに相手が目を奪われて、その場に長時間立ち止まっていたとしたら?

きっとこんな気持ちになるのではないでしょうか。

 

もし犬が道端に咲いている花を見て立ち止まっているのだったら、私も犬の横に並んでしゃがみ、一緒に花を眺めるでしょう。

犬と私が同じものを見て興味を惹かれている。

そのことを嬉しく思うでしょう。

 

しかし犬の美意識はゼロに等しく視覚からの情報に興味を惹かれることは稀です。

その代わり犬に言わせれば人間はにおいに対する意識がゼロに等しいということになるでしょう。

 

犬が嗅いでいる地面からどんなにおいがしているのか気になります。

自分の鼻を犬と同じように地面に触れるくらいに近づけて嗅いでみたいと思うこともあります。

やってみたことは一度もないですけれども。

 

なぜやらないのか?

多分私の鼻は何も嗅ぎ取ることができないだろうという諦め。

掌とズボンの膝を汚したくないという気持ち。

犬と並んで四つん這いになっている姿を人に見られたくない。

そんな理由からです。

 

人間の嗅覚が犬並みに敏感であれば犬ともっと仲良くなれることは間違いありません。

一緒にあちこちのにおいを嗅ぎまわって気分を共有するのです。

それができない自分が歯痒くて仕方ありません。

 

気分を共有するという点で言えば、犬よりも猫の方が容易ではないでしょうか。

犬よりも猫の方が視覚からの情報を頼りに行動していることが多いと思うからです。

 

また猫がふとんの上で気持ち良さそうに寝ているとき、その気持ち良さを私も共感できます。

猫が怒っているとき、恐怖を感じているとき、初めての場所で警戒しているとき、それぞれの感情を私も感じ取ることができるのです。

 

しかし犬の場合は共感できる場面がずっと少ない。

散歩に行く時にぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでいると「嬉しいんだな」ということは分かります。

散歩に連れ出したときに勢いよく走り出す。

これは駆け出したいという意思の表れで、思い切り走る爽快感を感じたいのでしょう、恐らく。

そのような感情も理解できそうな気がします。

 

しかし犬が吠えている時、その理由は分かりません。

怒っているのでしょうか?

何かをうったえているのでしょうか?

吠えている意図も動機も分かりません。

 

あぁ、この犬と私との間にある断絶。

この溝を埋めるには、やはり勇気を持って地面に鼻をこすりつけ、においを嗅ぐことにチャレンジしなければならないのでしょうか?