日中はまだ暑さが残るけれど朝晩は大分涼しくなってきましたね。
嬉しいですか?
暑かった夏を乗り切って、夏が終わって、嬉しいですか?
私はそうでもありませんよ。
確かにホッとした気持ちはあります。
「あぁ、秋が来たな」という安堵感はあります。
しかしこの夏私に何があったのかと考えると何も無かったことに気付くのです。
いえ、今ふっと気付いたのではありません。
そんなこと毎日思い知らされながらひと夏を過ごしてきたのですから。
そしてそれは今年の夏に限ったことではありません。
毎年です。
そして夏に限った話ではなく、どの季節でもそうなのです。
つまり年がら年中私には何もない。
ただそれが夏という大きなエネルギーを持った季節を前にしてより強く感じられるということなのです。
海には行きませんでした。
山へも行きませんでした。
川へもね。
夏祭りにも、花火大会にも行ってません。
ハイキング、バーベキュー、遊園地。
帰省、墓参り、親戚との集まり。
なーんにもしていません。
本を一冊でも読んだか?
読んでません。
子供だって夏休みの宿題の読書感想文を書くために読んでるんだぞ。
すみません、読みませんでした。
身体を動かしたか? 運動したか?
いいえ。
子供だって夏休みには朝からラジオ体操をするんじゃないのか?
今の子たちはどうなのか知らないけど。
とまぁそんなわけで夏らしさというものとは無縁のまま熱い季節が終わりました。
(「熱い」は変換ミスではありません)
では私は何をしていたのか?
仕事をしていました。
肉体労働でへとへとに消耗して一日を終えていたのです。
そんな日々の連続の後、今日を迎えたというわけです。
イベント好き、パーティー好きな人間では元々ないし、企業やメディアの戦略に乗せられて心がかき乱されるわけでもない。
春は花見だ行楽だ、夏は海だ山だ、秋は紅葉狩りだハロウィンだ、冬は鍋だ雪遊びだクリスマスだ、などとノルマをこなすように活動するタイプでもありません。
世間は世間。オレはオレ。
割と気楽でマイペースに生きている私です。
しかしだ。
何でしょう、この「夏がただ私の横を通り過ぎて行っただけ」という虚しさは。
挨拶もなしに会釈さえなしに、素通りしていく見知らぬ他人のようなよそよそしさ。
駐車した車のフロントガラスに日除けのカバーを掛けたのと、蚊取り線香を点けたくらいが私の取った夏らしい行動なのです。
「いやいや、俺だってそうだし、みんなそんなもんだよ」
「行楽地の混雑なんていうニュースはそこだけが切り取られているだけさ」
「いわゆる『リア充』たちの充実感っていう幻想に惑わされてるんだよ」
こんな風に慰めてくれる人がいるかもしれません。
でもそんな人でも正月くらいは他の364日とは違う過ごし方をするのではないでしょうか?
私は同じなんです。
自慢じゃないですよ。
開き直っているわけでもない。
ただ、ちょっとゾッとしてますね。
元日も同じよう起きて職場に行き、同じように疲れ果てて帰って来て普段と同じようなものを食べて寝る。
「いいのかな、本当にこれで?」
別にブラックな会社ではないのです。
ただとても忙しいんですよね。
人生の半ばをとっくに過ぎた私は今から青春を過ごそうと考えているわけではないのです。
でもね、このままじゃ何もしないまま一生が終わってしまいそうな予感に打ち震えることがありますよ。
まぁこんな文章を爽やかな朝6時に書く必要はないんですけれども。
今年も残すところあと3ヶ月半。
生活に何か変化をつけたいものです。
「そうだ、今日は仕事の帰りに近所の温泉にでも立ち寄ってみようかな?」
という考えが今一瞬頭をよぎったけど。
行くかな?
多分行かないだろうな、オレは。
ダメだこりゃ。